2022年年明けに複数の企業で「夢」や「目標」についてのワークショップを担当させていただいています。
それぞれがグループになって対話を進める中、気付いたことがあります。
夢、目的、目標・・・・ 様々な言葉ありますが、同じ組織にいても定義がバラバラです。
主語が「会社」や「組織」であれば同じ定義がありますが、個人の夢や目標では、何を話したらいいのか、、、と一瞬困ってしまうということです。
夢は持つべきだろうか
昨年からプロジェクトをご一緒しているチームでは、今現在も「EQダイアログ」と称して組織開発を目的とした対話のセッションを継続的に実施しています。
毎回、正解のない「問い」をたて、対話を通してEQ発揮を実践していくものです。
今回の「問い」は、【夢はもつべきだろうか?】です。
・夢って子供の頃になりたかった職業?
・子供と居酒屋でお酒飲みたいな、でもこれは夢じゃないか。
・かわいいおじいちゃんを目指している
・温泉にいつでも入れる家にすみたいなぁ
などなど、様々な発言が出てきます。
時間軸、レベル感、大きさなど、皆バラバラです。
皆さんが話しているのを拝見し、私が気づいたことが一つあります。
それは、誰もが「夢(のようなもの)」を語る時、
そして誰かの「夢(のようなもの)」を聴く時、
双方がとっても嬉しそうで笑顔だということです。
夢はあってもなくてもいいと思います。
ですが、夢とか、夢のようなものを語る時、人は皆未来を見ていて、総じて笑顔であることが事実です。
夢はあってもなくてもいい、でも夢(のようなものも含め)を語り合う時間はあった方がいい、
これはイキイキとした表情で話す皆さんをみて感じた 私なりの回答です。
ノーブルゴールの追求
EQのコンピテンシーの一つに『ノーブルゴールの追求』があります。
ノーブルゴールとは、”人生の道筋となる目標”のことです。
ノーブルゴールについては、すでにコラムを書いていますので下記参考にして下さい。
数年前にシリコンバレーで世界から集まるEQトレーナーの皆さんとご一緒した際、ノーブルゴールについても対話する時間がありました。
そこで聴いたそれぞれのノーブルゴールは、
・孫と一緒にうちの庭で野菜作りをして一緒に料理をする(アメリカの方)
・EQの概念を私の国の教育改革メニューに入れる(南アフリカの方)
・子供たち誰もが自分を肯定的に語れる世界をつくる(ハワイから来た方)
・家族を一番大切にした時間の使い方を選択できる仕事をする(カナダの方)
・小さい時から海辺で暮らすのが夢だった(アメリカの方)
などなど。
こちらも、時間軸も、レベル感も、大きさもバラバラでした。
日本人のチームとの違いは、互いに話すまでの時間です。
このようなことを話すことに慣れている彼らは、躊躇なく、すぐに話し始めた方が多かった。
そして私達日本人チームと同じように、ノーブルゴールを語る人は笑顔であり、聴く人も嬉しそうな笑顔だったことが印象に残っています。
つまり、私が昨日、日本のチームの対話で聴いた話とほぼ同じだったのです。
ノーブルゴールはそのままで訳せば「崇高な目標」になります。
”崇高な”と言われると、視座高く立派な目標を言わなければならないと想いがちでが、必ずしも社会や世界に向けた崇高さである必要はありません。
自分にとって”崇高な”目指す姿があなたのノーブルゴールなのです。
別の企業のワークショップでも同じような話になり、夢、目的、目標など様々な言葉とノーブルゴールの関係を
こんな風にまとめてみました。
いろんな大きさ、広がり、レベルの言葉がありますが、どのレベルで語っても良いのです。
それが自分にとって感じ、考えるだけで心があったかくなる、思わず笑顔になる、あなたにとって”崇高な”もの、それがあなたのノーブルゴールです。
そんなカッコいいもの、全然描けてない、、、という方もいます。
ノーブルゴールとか夢とか、もっていても いなくてもいいです。
あれば追求し続けることで自分自身がワクワクします、
なければ誰かの夢やゴールを聴き、協力や応援ができます。
でも一人ひとりがノーブルゴールや夢(みたいなもの)を語る機会をもつことで、互いが互いを知り、関心を持ち、聴くことができます。
おそらく、多くの組織や企業で目指しているのは、この互いを知り、関心を持ち合い、聴きあう機会から共に何かを創り出すことではないでしょうか。
みんな一斉に今年の目標を書き出し始めたこの時期に、あらためて思い出した夢の話でした。
株式会社アイズプラス 代表取締役
池照 佳代
以前のコラム
ノーブルゴールの追求~父からのプレゼント~